こんな時代だから…。史跡を訪ねて福島を知ろう!世界に自慢できる5つの名所

こんな時代だから…。史跡を訪ねて福島を知ろう!世界に自慢できる5つの名所

こんな時代だから…。史跡を訪ねて福島を知ろう!世界に自慢できる5つの名所

現在の福島県は、1876年8月21日に会津地域の前身にあたる「若松県」と中通り地域の前身にあたる1876年以前の「福島県」、浜通り地域の前身にあたる「磐前県」の3県の合併によって成立しました。

福島は東北地方を代表する大都市圏であり、太平洋に面し奥羽山脈の東西にまたがって存在する面積は全国第三位の広さを持ちます。
そんな広大な面積の福島県、もちろんそれに伴う歴史があります!
史跡のおすすめスポットを紹介していきたいと思います。

戦国時代の堅城「白河城」

白河城は周りが平野に囲まれた小峰ヶ岡に築城された城で、城の背に流れる阿武隈川が天然の堀で他から攻め込まれにくい要害となっています。
本丸には三重櫓をはじめ櫓門などが建立され現代に見られるような城郭へと発展し、日本100名城や東北三名城に選ばれ、2010年には国指定史跡となりました。

2011年3月11日に発生した東日本大震災により石垣等が崩壊したため、三重櫓も含め本丸は立入禁止となっていましたが、2015年4月19日に小峰城復興式が開催され、復興式終了後に入城可能となっています。
阿武隈川を堀の代わりにしているため堅城で知られる白河城。
春には桜、秋には紅葉、冬には雪化粧など四季折々の姿を見せてくれます。

荘厳な雰囲気漂う「会津松平家墓所」

会津藩主松平家墓所は、会津若松市の院内山と猪苗代町の見禰山(みねやま)の二カ所の総称で昭和62年5月に国の史跡として指定を受けています。

寛永20年(1643年)に会津に入封した初代の保科正之公は、猪苗代の土津(はにつ)神社に祀られ、ここには、二代保科正経公から幕末の九代容保公までの墓があります。
初代正之の墓所は、遺言により自ら選定した猪苗代湖を望む磐梯山山麓の美祢山に、死去の翌1673年(延宝元年)神式によって造られ、葬られました。
あたりは厳格な雰囲気に包まれており、緊張感が漂います。
幕末好きには是非行って欲しい、おすすめスポットです!

会津の歴史・文化・精神を伝える「会津武家屋敷」

会津武家屋敷は、幕末に会津藩の家老を務めた西郷頼母邸(復元)を中心に、福島県の重要文化財である旧中畑陣屋、茶室、藩米精米所、会津歴史資料館等からなる歴史博物館です。
重要文化財の旧中畑陣屋や藩米精米所などを備え、当時の会津武士たちの生活ぶりを知ることができます。
幕末の戊辰戦争で会津城下は戦火にさらされ、多くのものは消失してしまいましたが、それを惜しんだ地元の有志により、会津の歴史・文化・精神を後世に伝えるために造られたのが、この会津武家屋敷。
会津藩家老西郷頼母の家老屋敷など現在に会津の精神・文化・歴史を伝えるため当時になるべく近づけて復元されております。
会津松平家墓所に続き、幕末の時代に揺れ動いた会津藩の雰囲気を知るならここはオススメのスポットです!

東北の名城「会津若松城」

福島県会津若松市にある会津若松城です。
言わずと知れた東北の名城であり、幕末の戊辰戦争最大の戦いが行われた場所です。
白虎隊、新選組、会津藩士など数々のいろんな思い、時代を背負った城。
歴史好きならもちろん知っている場所でありますが、福島に来たら外せない場所ですね。
難攻不落の名城とうたわれたこの城は、戊辰の戦役で新政府軍の猛攻の前に籠城一ヵ月をしても落ちなかったほど屈強な城。

戦後は天守を含む多くの建造物の傷みは激しく、放置されたまま破却を迎え、石垣だけを残して取り壊されたのは明治7年のこと。
2010年(平成22年)から、黒瓦だった天守の屋根瓦を明治時代に解体される以前の赤瓦葺に復元する工事が行われ2011年(平成23年)3月に竣工しました。
また、今後は本丸の御三階櫓も併せて復元される予定です。

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